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1987年、母の出身地である青森県に生を受けるも、生後一ヶ月で千葉県へ。父は動物医療機器メーカーの営業マンで母は専業主婦でした。一人っ子ということもあり、ちやほやされて育ったと記憶しています。

高校を中退し、約4年間、漫才師として活動。

担当はツッコミとネタ作りで、観客2人のステージから2000人のステージまで、様々な場所で漫才をさせて頂きました。

相手の表情を見てコミュニケーションを取る癖は、この時に培ったのだと思います。

高等学校卒業程度認定試験資格(旧:大検)を取得し、美術予備校へ。受験勉強の末に多摩美術大学映像演劇学科に入学しました。在学中は映像制作に明け暮れ、監督作品の幾つかがコンテストで賞を頂きました。

チーフディレクターとなり、マネジメント中心の業務に移行。

当時の制作部は長時間労働が問題視されていましたが、非制作部門出身の上司の考えに感銘を受け、制作物全てに規定工数を定めるなどの徹底的なタイムマネジメントを行い、環境改善の一助を担いました。

競馬好きの父の影響で、小さい頃から競馬の虜に。

週末は中山か東京競馬場で過ごし、愛読書は週刊Gallopと種牡馬辞典という、オジサン臭い子供でした。

友達と遊びで作った映像作品を、主催したお笑いライブで上映したところ、漫才よりもウケた事がきっかけで映像の道へ。

広告代理店へ撮影・編集補助としてアルバイト入社し、基礎を叩き込まれました。

映像制作会社へ入社し、ディレクターとしてドキュメンタリー番組や企業VPを数多く担当。中でも独白系ロングインタビュー番組が得意で、経営者・政治家・アスリート・タレント… 述べ100名以上の方々を取材させて頂きました。

会社公認で映画サークルを立ち上げ、ドキュメンタリー映画「今日もどこかで馬は生まれる」を企画。クラウドファンディングで210名より270万円ほどの支援を得て制作をスタートさせ、日本中央競馬会を始め、競馬産業に携わる多くの団体や個人の方々にご協力頂き、構想から約一年半で完成を迎えました。

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Now.

映画完成を機に独立。

「ひと」「うま」「しごと」の

三本柱を掲げ、

様々なお仕事を

させて頂いています。

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